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   稽留流産   
   反復流産 9週心拍確 ....   
   11週 流産   
   15週、破水しての人工 ....   
   三つ子 20週 子宮頚 ....   
   7週・8週 2度目の ....   
   16週と5日の後期流産   
   7週 流産   
   初期流産   
   7週 流産   

Name: ぷーりん    ..openmobile.ne.jp
Date: 2015/02/08(日) 17:00
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Title: 稽留流産    
3年前、ここのホームページにすごく助けられた者です。
稽留流産でした。

流産が信じられず、早めに手術したほうが体のためには良かったのですが
どうしても、流産という診断を受け入れられず、誤診であってほしいと強く願い、
流産と言われたものの誤診だった、という方の経験を見たり聞いたりしながら、1ヶ月もの間亡くなった子供をお腹に抱えていました。

流産と診断され1ヶ月後、一度も診てもらったことのない産科に行き、
「妊娠検査薬で、陽性反応がでたので調べてほしい」と、流産と診断されたことをかくして診てもらったのです。

結果を待つ間、心拍が戻っていますように。流産が誤診でありますように。
そう願っていました。

医師から「尿検査は陽性だったからお腹を診てみるね」と言われ、
診察台へ。
医師の口から「ホウジョウキタイ」と診断されました。

ほうじょうきたい???なに?
異常妊娠のひとつということを知り、
しかも、ネットで調べると、抗がん剤治療とか子宮摘出とか怖いことが書いてありました。


手術日が決まり、それから、手術までの間。
ずっとお腹の子と一緒にいたい。
お腹の子を摘出せずに病気になっても良い。
そんなことも考えました。

でも、次の妊娠を望むのであれば、早めに手術をしたほうがいい。
そうとも書かれていて、お別れは悲しかったけれど手術をしました。

流産では、この子は医療廃棄物として捨てられてしまうということもとても悲しかった。

手術は成功。

軽くなったお腹をとても寂しく感じた。
もういないんだな。実感した。

あれから3年。

お腹に宿った小さな命と同じくらい大切な人に出逢って、生きてて良かったな、と思えるようにもなり、今は笑顔を取り戻せています。

お腹のなかに宿った命の事を忘れることはないけれど
お腹のなかで亡くなった悲しみも忘れることはないけれど
悲しみを受け止められるようになりました。

長くなりましたが、ここのホームページに来たのは、
3年たって巡り逢うことができた今、となりにいる大切な人に似た可愛い子供を授かりたいって思ったからです。

そして妊娠、出産は命懸けで奇跡なんだっていうことを再確認しに来ました。

ポコズママの会に関わっている方
経験を書いてくれた方
励ましてくれた方々に感謝します。





Name: toku    ..home.ne.jp
Date: 2015/02/03(火) 22:20
  返信  引用  編集 
Title: 反復流産 9週心拍確認後    
2013年、2014年と2回続けて流産をしました。
1回目は結婚してすぐに授かりました。
こんなに早く赤ちゃんが来てくれるなんて!と不安ながらも嬉しい日々。
心拍確認ができれば一安心ということで、これからの生活を想像してわくわくしていました。

ところが9週に入ったばかりの日に、突然少量でしたが茶色い出血がありました。
急いで最寄りの産婦人科に行きましたが、赤ちゃんはもう死にかけていました。
その時は10秒に1回くらい心臓が動いていましたが、
「いくら何でも遅すぎる。もうダメなんだな」と分かりました。

翌日に総合病院へ行った時には、やはり心臓は全く動いていませんでした。
手術後、「起きてしまったことは仕方がない。また主人と二人で頑張ろう」
自分では気持ちを切り替えたつもりで家事や仕事を頑張っていましたが、1カ月が経った頃、突然手足が冷たくなり、不安と恐怖感で涙があふれてきました。

そこからは地獄の日々。
なぜか毎日夜になると不安感と恐怖感で涙があふれ、人混みの中に行けない、電車に乗れない。
「自分はどうなってしまうんだろう。もう前みたいな明るい自分には戻れず、役立たずな人間になってしまうのかな。」と考えてばかりでした。
あまりの辛さにたまらずカウンセリングを受けました。
カウンセラーさんからは「本当はとてもとても辛い出来事だったのに、きっと抑え込んでしまったんだね。大丈夫だよ、そうなってしまったのは貴方が弱いからじゃない。焦らずにゆっくり過ごしてください。悲しい時はご主人の前で泣いてください。」と言われ、少し心が軽くなったことを覚えています。

そこから少しずつ普段の生活を取り戻し始め、流産から1年が経った頃、「怖いけど、やっぱり赤ちゃんが欲しいな」との思いで、また妊娠にトライすることにしました。
そして1か月後、妊娠検査薬が陽性に。不安でたまらなかったけれど、「2回も悪いことは続かないよね」と自分を奮い立たせました。
けれど、また前回と同じく9週で出血。
数日後には赤ちゃんの心拍は見えなくなりました。

流産が確定となった日は、悲しいというよりも怒りでいっぱいでした。
「赤ちゃんは私を苦しめに来たに違いない」そんな汚い感情ばかりが心の中にありました。
それでもしばらく経って心が落ち着いてくると「短い間だったけれど、お腹の中に赤ちゃんが居てくれた日々は幸せだったな。」と考えられるようになりました。

今は、また前のような情緒不安定な日々にならないよう、「ゆっくり、ゆっくり、泣いてもいいよ。頑張らなくていいよ。」と自分に言い聞かせています。
それでもふとした瞬間に急に不安になり泣いてしまう時もあります。

2回とも悲しい妊娠に終わった私ですが、「次は赤ちゃんが無事に産まれてきてくれますように。お母さんになれますように。」という願いは変わりません。

きっと次に妊娠しても、嬉しいという気持ちはほとんどないでしょう。
不安ばかりでいっぱいいっぱいになってしまうでしょう。
それでもお母さんになるという希望は捨てません。
「なんだか出口の見えない長いトンネルに入ってしまったなぁ」という思いですが、それでもきっといつかは幸せになれる!と信じて生きていきたいと思います。





Name: ママ    ..dion.ne.jp
Date: 2015/01/25(日) 23:59
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Title: 11週 流産    
長男の時は何も問題も無く出産を迎えました。
周りのママ友も何も問題なく出産していたので、妊娠も出産も当たり前のことだと思っていました。

心拍が確認でき、9週の検診では先生から「元気な子だよ」と言われていたので、母子手帳も取りに行って安心しきっていた矢先、
12週(4ヶ月検診)で「赤ちゃん小さいね」と言われました。
それでも、少し小さいだけだと、あまり心配していませんでした。

「翌日も来て」と言われ、翌日、再度診てもらったのですが
「やっぱり・・・心臓が止まってる」と言われ、想像もしてなかった言葉に頭が混乱しました。
心の中で嘘だ!嘘だ!と思うものの、涙が溢れてきて止まらず、
後日、赤ちゃんを出す手術をしました。

手術の前日に前処置を受けました。
夜中に、陣痛のような痛みがきて、朝まで耐えました。
手術当日、息子を産んだ分娩台で手術をしました。
そこから自然と涙が止まらず、助産師さんが手を握ってくれ少し安心しました。
麻酔を入れられて少ししてから意識が飛び、気づいたら誰かの声がしました。
「赤ちゃん、ごめんね」と何回も聞こえ、誰の声?と思っていたら
自分の口が動いていることに気づき、同時に意識が戻り、口を閉じました。

「赤ちゃんは弱い子だったんだよ」と、先生は言っていました。
でも赤ちゃんは、苦しい思いをしてまで私のところに来てくれた強い子なんです。
私は母親なのに赤ちゃんに何もしてあげられませんでした。
守ることもできませんでした。
でも赤ちゃんは命の尊さ、大切さを教えてくれました。
とても優しい子です。

もっと安静にしてたら違ってたかな?とか、妊娠してる時に主人と喧嘩ばかりしてたから嫌になっちゃったのかな?とか。
悔やむことがたくさん有ります。

また来てくれるまでにちゃんとするから、ママの所に来てください。

あなたの分までお兄ちゃんを大切に育てます。
あなたの分までパパとママは健康に長生きします。
いつでも3人で待ってるよ。
少しだったかもしれないけど、私のお腹で育ってくれてありがとう。
苦しい思いをさせてごめんなさい。
空から私達を見守っててね。大好きだよ。





Name: はぴこ    ..panda-world.ne.jp
Date: 2015/01/11(日) 19:52
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Title: 15週、破水しての人工死産    
昨日の朝、軽い腹痛を感じて横になっていました。
トイレにで出血に気付いた瞬間、羊水が流れ落ちてきました。
自分ではどうにも止められない感覚で、すぐ羊水と気付き、主人と慌てて産婦人科へ行きました。
産婦人科では対応できないと救急車で大学病院へ運ばれました。

分娩台で診察を受け、エコーで赤ちゃんの心拍が動いているのを見られて安堵しましたが、羊水が殆ど残ってないから助かる可能性は極めて低いと言われました。
そして、血液検査で私の母体感染が確認され、人工死産するしかないと医師に言われました。
そして、その日の夕方、子宮口を開く処置をし、睡眠薬をもらって眠りにつきました。

今朝、陣痛誘発剤を投与し、お昼頃から陣痛がきました。
そして出産しました。
赤ちゃんの心拍は、その頃には止まっていました。
嗚咽が出るほど、泣きながらの出産でした。
痛いからではありません。
赤ちゃんを助けてあげられなかった、赤ちゃんを抱く事ができなかった悲しみや辛さや、悔しさで感情を抑えられませんでした。

処置を終え、赤ちゃんと対面しました。
まだ性別は分からなかったし、真っ赤なお顔だったけど、本当に可愛くて綺麗な顔立ちでした。本当に愛おしい可愛い子でした。

明後日、火葬をして天国に送ります。
どうしても、どうしても、この子に元気になってまた私のお腹に戻ってきて欲しいです。
その為にも早く私は元気にならなくちゃと思いますが、立ち直れる自信が今はありません。時間しかないのでしょうか。

原因は、胎盤を検査して分かると思うと言われています。
今はまだ分かりません。

あまりに突然の出来事で、今だに信じられません。
このやり場のない思い、どうすれば良いのでしょうか。
辛いです。





Name: しゅうと・はると・めい 三つ子ママ    ..spmode.ne.jp
Date: 2015/01/10(土) 16:07
  返信  引用  編集 
Title: 三つ子 20週 子宮頚管無力症    
2014年12月22日、三つ子の出産に向け、今まで通院していた病院よりも、更に設備が整っている大学病院へ移ることになり、新しい病院へ初めての診察に行きました。
そこで今まで問題なかったはずなのに、子宮頚管が2cmないくらいまで短くなっていると指摘され、即入院になりました。

今まで、お腹の張りを余り感じなかったけど、これ以上子宮頚管が短くならないようすぐにお腹の張りどめと、子宮が収縮しないようにするための点滴生活が始まり、絶対安静の生活に入りました。
トイレと洗面は車椅子移動、それ以外はベッドの上での毎日でした。

年が明け、1月5日に今後の相談をしようと言うことで、先生と夫婦で話し合いをし、3日後の8日に子宮頚管を縛る手術を受けることになりました。
これで少しは希望が見えたような気がして、30週目指して頑張ろうと思っていた矢先、6日の夜から急に今まで感じたことがなかったお腹の張りがひどくなり、朝になってトイレへ行くと出血していました。
そしてトイレで張りに耐えて、食いしばりながら子宮口に違和感を感じて触ってみたら何か出ていました。
ビックリしてナースコールし、とりあえず車椅子でベッドに戻って看護師さんに確認してもらいました。
ところが、座ったことで引っ込んでしまったのか、何も見えませんでした。

朝になると本格的な陣痛がついてきて、先生の診察を受けると、子宮頚管が開ききってしまっており、1人目は膣内にいるということがわかりました。
トイレで出てきてしまったのは、1人目の赤ちゃんの頭だとわかりました。

先生がもう諦めなきゃいけない、普通分娩で産もうと言いました。まさかのことで泣き叫びました。
お腹で問題なく元気いっぱいに動いて生きている赤ちゃん達。
ママのせいで産まなきゃいけない。20週だから助けることもできない。
このままお腹にいさせてあげられたらと、悔しくて悔しくて。
陣痛に耐えながらもやるせない想いで涙が止まりませんでした。

そのまま分娩室へ向かい、1月7日、ちょうど20週、6ヶ月目にはいった日に普通分娩で3人の小さな小さな赤ちゃんを出産しました。
男の子2人と女の子でした。
男の子2人は仲良く25cm310g、325g。
女の子は24cmで270g。

まだ胎動を感じる前で、お腹の中では元気に一生懸命動いて生きていたけど、まだ20週で外での呼吸は自分で出来ず、延命処置も出来なくて、3人の赤ちゃんたちは産まれて間もなく息をひきとり、天国へ旅立っていきました。
綺麗に拭いてもらって、ぶかぶかのお洋服を着せてもらい、棺に仲良く3人で入っている赤ちゃんと会いました。
一人一人抱かせてもらった3人は小さいながらに重みを感じ、顔立ちもハッキリしていて可愛かった。

3人のへその緒と、3人の手形、足形をいただき宝物が出来ました。
産まれた証。ありがとう。

火葬は明日。3人に向けて書いたお手紙や赤ちゃんたちにパパと、ママの顔を、忘れてほしくなくて、写真も、そしてケンカにならないように同じ人形を3つ。
最後にきちんとお別れをしてこようと思います。
今は悲しくて悲しくて、3人の事を考えると毎日泣いてばかり。
まだまだ心の整理も出来ないし、立ち直るには時間かかるけど、パパとママを選んでお腹の中にきてくれたこと本当にありがとうの気持ちでいっぱいです。
離れていても心の中にいつまでもいるし、お互いの幸せを願っていることも同じ想いだと思います。
いつまでも家族だってこと変わらないし、ゆっくりでも前に進んで赤ちゃんたちを安心させてあげたい。

3人がお腹の中にきてくれたことでたくさんの事を教えてもらいました。
感謝しています。ありがとう。ありがとう。ありがとう。
しゅうと、はると、めい、パパとママはあなた達の事、忘れないよ。
またパパとママを見つけたらお腹に戻っておいで。
大好きだよ。ありがとう。





Name: ももいろまま    ..prin.ne.jp
Date: 2015/01/08(木) 12:26
  返信  引用  編集 
Title: 7週・8週 2度目の流産    
2人目を授かりましたが、8週で稽留流産で手術をしました。
その後、心の傷がなかなか癒えず苦しみました。
思い出しては泣く日々で、すぐに次の妊娠、という気持ちにはなれませんでした。

半年ほどたった頃、自然とまた赤ちゃんを抱きたいと思うようになり、その後妊娠して無事出産に至りました。
そして去年の夏に第3子の妊娠がわかりましたが、7週で自然流産となりました。

私にとっては全ての妊娠が喜びで、幸せな出来事でした。
三人目が出来た報告を主人や義理の母に話した時の冷ややかな反応は忘れられません。
こんなに喜んでるのは自分だけかと落ち込み悩んでいました。
しばらくして出血が始まり、4日後には赤ちゃんが出てきてしまいました。
あれから半年たとうとしていますが、まだ立ち直れません。

毎日バタバタと過ごしていますが、心が空っぽのように突然苦しみが襲ってきます。子供が二人もいるんだからそれでいいじゃないと言われた事もあります。
言われた意味はわかりますが、それでも立ち直るのは時間がかかるものだと思います。
また赤ちゃんを授かれるかはわかりませんが、もし縁があり赤ちゃんを授かれるのならば皆に喜んで頂けるそんな妊娠になるといいなと思っています。
気持ちを出す場所があって良かったです。
ありがとうございました。





Name: eve    ..so-net.ne.jp
Date: 2015/01/06(火) 00:13
  返信  引用  編集 
Title: 16週と5日の後期流産    
平成14年12月16日にお腹の赤ちゃんがお空に帰ってしまった。
16日の朝4時頃、お尻に違和感を感じて目覚め、触ってみると何だか濡れていた。
前日の夜から生理痛のような鈍痛があったので、嫌な予感がしてすぐにトイレにいくと出血していた。
すぐに病院に電話をして受診してもらうことになった。
「切迫気味だから、とりあえず安静に」と。
ちょうど昼に検診予約をしていたので、その時に様子を見て薬を飲むか入院をするか、家で安静かを決めてくださいとのこと。

赤ちゃんが元気な事が救いで、昼の検診では、初めて心臓の音をきかせてもらったり、手を動かしてる姿を見たり、男の子だと性別がわかり、名前を咲空(さく)と決定したり、とても幸せな時間を過ごした。
結局、子宮頸管が少し短い事以外問題はなさそうだと言われ、家で安静にすることになった。
しかし、病院からの帰りも、相変わらずの鈍痛があったので、トイレ以外はずっと横になっていた。
それなのに、夜の6時過ぎぐらいから、痛みが陣痛のように規則的になってきた。
しばらくは気のせいかと我慢していたけど、痛みが少しずつ強くなってきたので、病院に電話して、今日3回目の受診に向かうことにした。
あまりの痛みに母親にもついてきてもらい、タクシーで病院に向かった。
内診の後、先生から「子宮口が1.5センチくらい開いてて、このまま産まれても赤ちゃんは助からない」と言われ、目の前が真っ黒になった。
そして、そのまま自然分娩で小さな男の子を産み、母とすぐに駆けつけてくれた旦那さんと3人で小さな赤ちゃんの姿を見届けた。

あまりにも突然な出来事に何度も夢であってほしいと思ったが、お腹はもうペタンコになっていた。
その夜は眠れる訳もなく、一人でずっと泣きじゃくっていた。
皆に申し訳なくてどうしたらいいか分からなかった。
流産したことを両家の両親や私の姉が知ると、皆とんできてくれた。
そんな優しい人たちの顔を見ただけで涙が止まらなくなった。
そして、小さな箱に入った赤ちゃんの周りに皆でお花を供え、私たちの家族の写真、手紙、お菓子なども入れた。
病院からも何人かの看護師さん達が折り紙で作った花や鶴などを持って手を合わせにきてくれた。

火葬では、灰ぐらいしか残らないと言われていたが、悪阻でほとんどまともに食事が出来なかったダメな母親だったのに、ちゃんと栄養を吸収してくれてたようで、小さいながらもちゃんと骨が残っていて、骨上げも皆ですることが出来た。

まだ寝る前になると色んな事を思い出して涙する日々が毎日続いているけど、時間が解決してくれることを信じて、前向きに生活している。

上手に文章がかけていないけど、咲空が産まれたことを残して置きたくてここにかきこませてもらいました。





Name: まりむ    ..em-net.ne.jp
Date: 2015/01/04(日) 23:30
  返信  引用  編集 
Title: 7週 流産    
1人目が産まれてから1年、予期せぬ妊娠でした。
色々悩んでいた時期の妊娠だったので、経済的な不安や将来の不安が大きく、ストレスがあったのは事実ですが、新しい家族が増える喜びを感じ始めた矢先でした。

朝起きると出血があり、病院で診てもらった時には子宮は妊娠する前の状態に戻っていました。
年末年始をはさんでいて寒い時に外出したり、体調を崩していたので、そのせいじゃないかなど色々考えてしまいました。

元気に産まれてきてくれるだけで奇跡。
生きていることが奇跡。
愛する人の子どもを授かれたことが奇跡。
赤ちゃんが大事な事を教えにきてくれたような気がします。

今の私の状態では安心して産まれてこれないと思ったのかな。
きっとまたママのところに戻ってくる頃には一回り成長してみせるから安心して産まれてきてね。





Name: まいちゃん    ..spmode.ne.jp
Date: 2014/12/28(日) 18:32
  返信  引用  編集 
Title: 初期流産    
12月24日、心拍停止を確認した後、25日、自然に出てきました。
結婚してもうすぐ2年。
初めての妊娠、流産を経験しました。
どうする事も出来ない悔しさと悲しさは表しきれないです。

Xmasの夜、空を見上げてあんなに泣いたのは初めてだったなぁ。
悲しいけど、悔しいけど、周りの暖かさや旦那さんと結婚して良かったって、気付けて本当によかった。

人生で一番悲しいXmasだったけど、それ以上に最高のプレゼントをもらったのかな?
ありがとうって抱きしめたい。早く逢いたいよ。





Name: ふーちゃんママ    ..eonet.ne.jp
Date: 2014/12/25(木) 23:27
  返信  引用  編集 
Title: 7週 流産    
結婚前に一度、子宮肉腫の疑いのため子宮全摘手術を勧められたことがありました。
まだ結婚前で、子どもも希望してましたし、細胞診の結果悪性だったら再手術をして全摘を・・・となりましたが、
幸い、良性の筋腫が原因不明で変性したものであったため、全摘を免れました。
その2年後に1人目の娘を帝王切開で出産しました。
一度は、病状次第では子どもをあきらめないといけないと覚悟したこともあり、子どもをもうける事ができたことがとてもうれしかったです。

ですが、欲といいますか、2人目が欲しい、兄弟を作ってあげたいと思うようになりました。
1年後の検診で子作り許可をもらい、葉酸サプリを飲みながら毎月ドキドキしてすごしていました。
娘の保育所や職場で次々と妊娠していく中、若干のあせりはありましたが体調に気をつけてすごしていました。

娘の3歳の誕生日を迎えた頃、毎月期待してしまう自分に疲れ、少し休憩と思っていたところ、4ヶ月後に体調の変化があらわれました。

その1ヶ月前から咳が止まらず、いろんな薬を飲んでいましたがその日から服薬をやめました。
生理予定日まで後3日というところで我慢できず、検査薬を試すと少し薄いけど陽性反応がでました。
あまり早く受診してもいけないと思い、はやる気持ちを抑え2週間後に受診。
小さな胎のうが確認できました。

「計算的に7週目に近いけど、排卵日がずれてたのかな?ちょっと小さいね。また2週間後に心拍確認に来てください」と言われました。
まだ初期なので言うべきではなかったのですが、娘がおなかに乗ってくるので「おなかに赤ちゃんがきたから、乗るのは我慢してね」といってしまいました。
娘もお友達に次々と兄弟ができていたので、「お姉ちゃんになる」というイメージが3歳なりにできたようで「赤ちゃんに○○してあげる」「靴下を履かせてあげる」と、楽しみにしてくれていました。

楽しみな反面、続く咳、娘の妊娠の時より軽いつわりと常に下腹部に重い感じがあり、少し不安を抱えてましたが「2人の母親になるんだ」という気持ちをもって、あまり気にしないようにしました。
受診から4日後、仕事中に出血。
その瞬間、妙に悟った様な気持ちでだめなんだと思いました。
すぐに病院に電話しましたが、夕方であったため「安静にして気になるようだったら、朝、受診してください」と言われ、翌朝受診。
流産の可能性を言われました。
4日後に一応心拍確認をしましょうと言われ、同時に手術の予約を入れました。

12月24日に入院して、翌25日に手術を受けました。
帰って、娘に「赤ちゃん星になっちゃうんだって」と説明しました。
半年前に祖母が亡くなっていた為、「星になる」の意味がわかった娘。一緒に泣いてくれました。
でも「大丈夫、赤ちゃん、すぐもどってくるって」と励ましてくれました。
エコーでふくろが確認できたけど、それ以上赤ちゃんになれたかった赤ちゃん。
娘と「ふーちゃん」と呼びました。

入院は切迫早産の妊婦さん2人と同室で、安静のストレスからか大声でこれからの事を楽しそうに話されてました。
また、分娩室の前の部屋だったため、産声等も聞こえてきて、我慢しても涙がこぼれてきました。
まだ心拍も確認できていないんだから、命にはならなかったんだと思っても、感情がついていきません。
もしかして、風邪薬を飲んでたから染色体に異常が・・・という自分を責める気持ちがついて回ります。

手術が終わって笑えないまま自宅に帰ると、娘が「ふーちゃんは母ちゃんの事すきやから、泣いてたら、えーんえーんってゆうよ」とぎゅっとしてくれました。

今年はつらいクリスマスになりましたが、来年は笑顔で皆でクリスマスが迎えれるよう前を向いていけたらと思います。







 
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