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   三つ子 20週 子宮頚 ....   
   7週・8週 2度目の ....   
   16週と5日の後期流産   

Name: しゅうと・はると・めい 三つ子ママ    ..spmode.ne.jp
Date: 2015/01/10(土) 16:07
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Title: 三つ子 20週 子宮頚管無力症    
2014年12月22日、三つ子の出産に向け、今まで通院していた病院よりも、更に設備が整っている大学病院へ移ることになり、新しい病院へ初めての診察に行きました。
そこで今まで問題なかったはずなのに、子宮頚管が2cmないくらいまで短くなっていると指摘され、即入院になりました。

今まで、お腹の張りを余り感じなかったけど、これ以上子宮頚管が短くならないようすぐにお腹の張りどめと、子宮が収縮しないようにするための点滴生活が始まり、絶対安静の生活に入りました。
トイレと洗面は車椅子移動、それ以外はベッドの上での毎日でした。

年が明け、1月5日に今後の相談をしようと言うことで、先生と夫婦で話し合いをし、3日後の8日に子宮頚管を縛る手術を受けることになりました。
これで少しは希望が見えたような気がして、30週目指して頑張ろうと思っていた矢先、6日の夜から急に今まで感じたことがなかったお腹の張りがひどくなり、朝になってトイレへ行くと出血していました。
そしてトイレで張りに耐えて、食いしばりながら子宮口に違和感を感じて触ってみたら何か出ていました。
ビックリしてナースコールし、とりあえず車椅子でベッドに戻って看護師さんに確認してもらいました。
ところが、座ったことで引っ込んでしまったのか、何も見えませんでした。

朝になると本格的な陣痛がついてきて、先生の診察を受けると、子宮頚管が開ききってしまっており、1人目は膣内にいるということがわかりました。
トイレで出てきてしまったのは、1人目の赤ちゃんの頭だとわかりました。

先生がもう諦めなきゃいけない、普通分娩で産もうと言いました。まさかのことで泣き叫びました。
お腹で問題なく元気いっぱいに動いて生きている赤ちゃん達。
ママのせいで産まなきゃいけない。20週だから助けることもできない。
このままお腹にいさせてあげられたらと、悔しくて悔しくて。
陣痛に耐えながらもやるせない想いで涙が止まりませんでした。

そのまま分娩室へ向かい、1月7日、ちょうど20週、6ヶ月目にはいった日に普通分娩で3人の小さな小さな赤ちゃんを出産しました。
男の子2人と女の子でした。
男の子2人は仲良く25cm310g、325g。
女の子は24cmで270g。

まだ胎動を感じる前で、お腹の中では元気に一生懸命動いて生きていたけど、まだ20週で外での呼吸は自分で出来ず、延命処置も出来なくて、3人の赤ちゃんたちは産まれて間もなく息をひきとり、天国へ旅立っていきました。
綺麗に拭いてもらって、ぶかぶかのお洋服を着せてもらい、棺に仲良く3人で入っている赤ちゃんと会いました。
一人一人抱かせてもらった3人は小さいながらに重みを感じ、顔立ちもハッキリしていて可愛かった。

3人のへその緒と、3人の手形、足形をいただき宝物が出来ました。
産まれた証。ありがとう。

火葬は明日。3人に向けて書いたお手紙や赤ちゃんたちにパパと、ママの顔を、忘れてほしくなくて、写真も、そしてケンカにならないように同じ人形を3つ。
最後にきちんとお別れをしてこようと思います。
今は悲しくて悲しくて、3人の事を考えると毎日泣いてばかり。
まだまだ心の整理も出来ないし、立ち直るには時間かかるけど、パパとママを選んでお腹の中にきてくれたこと本当にありがとうの気持ちでいっぱいです。
離れていても心の中にいつまでもいるし、お互いの幸せを願っていることも同じ想いだと思います。
いつまでも家族だってこと変わらないし、ゆっくりでも前に進んで赤ちゃんたちを安心させてあげたい。

3人がお腹の中にきてくれたことでたくさんの事を教えてもらいました。
感謝しています。ありがとう。ありがとう。ありがとう。
しゅうと、はると、めい、パパとママはあなた達の事、忘れないよ。
またパパとママを見つけたらお腹に戻っておいで。
大好きだよ。ありがとう。





Name: ももいろまま    ..prin.ne.jp
Date: 2015/01/08(木) 12:26
  返信  引用  編集 
Title: 7週・8週 2度目の流産    
2人目を授かりましたが、8週で稽留流産で手術をしました。
その後、心の傷がなかなか癒えず苦しみました。
思い出しては泣く日々で、すぐに次の妊娠、という気持ちにはなれませんでした。

半年ほどたった頃、自然とまた赤ちゃんを抱きたいと思うようになり、その後妊娠して無事出産に至りました。
そして去年の夏に第3子の妊娠がわかりましたが、7週で自然流産となりました。

私にとっては全ての妊娠が喜びで、幸せな出来事でした。
三人目が出来た報告を主人や義理の母に話した時の冷ややかな反応は忘れられません。
こんなに喜んでるのは自分だけかと落ち込み悩んでいました。
しばらくして出血が始まり、4日後には赤ちゃんが出てきてしまいました。
あれから半年たとうとしていますが、まだ立ち直れません。

毎日バタバタと過ごしていますが、心が空っぽのように突然苦しみが襲ってきます。子供が二人もいるんだからそれでいいじゃないと言われた事もあります。
言われた意味はわかりますが、それでも立ち直るのは時間がかかるものだと思います。
また赤ちゃんを授かれるかはわかりませんが、もし縁があり赤ちゃんを授かれるのならば皆に喜んで頂けるそんな妊娠になるといいなと思っています。
気持ちを出す場所があって良かったです。
ありがとうございました。





Name: eve    ..so-net.ne.jp
Date: 2015/01/06(火) 00:13
  返信  引用  編集 
Title: 16週と5日の後期流産    
平成14年12月16日にお腹の赤ちゃんがお空に帰ってしまった。
16日の朝4時頃、お尻に違和感を感じて目覚め、触ってみると何だか濡れていた。
前日の夜から生理痛のような鈍痛があったので、嫌な予感がしてすぐにトイレにいくと出血していた。
すぐに病院に電話をして受診してもらうことになった。
「切迫気味だから、とりあえず安静に」と。
ちょうど昼に検診予約をしていたので、その時に様子を見て薬を飲むか入院をするか、家で安静かを決めてくださいとのこと。

赤ちゃんが元気な事が救いで、昼の検診では、初めて心臓の音をきかせてもらったり、手を動かしてる姿を見たり、男の子だと性別がわかり、名前を咲空(さく)と決定したり、とても幸せな時間を過ごした。
結局、子宮頸管が少し短い事以外問題はなさそうだと言われ、家で安静にすることになった。
しかし、病院からの帰りも、相変わらずの鈍痛があったので、トイレ以外はずっと横になっていた。
それなのに、夜の6時過ぎぐらいから、痛みが陣痛のように規則的になってきた。
しばらくは気のせいかと我慢していたけど、痛みが少しずつ強くなってきたので、病院に電話して、今日3回目の受診に向かうことにした。
あまりの痛みに母親にもついてきてもらい、タクシーで病院に向かった。
内診の後、先生から「子宮口が1.5センチくらい開いてて、このまま産まれても赤ちゃんは助からない」と言われ、目の前が真っ黒になった。
そして、そのまま自然分娩で小さな男の子を産み、母とすぐに駆けつけてくれた旦那さんと3人で小さな赤ちゃんの姿を見届けた。

あまりにも突然な出来事に何度も夢であってほしいと思ったが、お腹はもうペタンコになっていた。
その夜は眠れる訳もなく、一人でずっと泣きじゃくっていた。
皆に申し訳なくてどうしたらいいか分からなかった。
流産したことを両家の両親や私の姉が知ると、皆とんできてくれた。
そんな優しい人たちの顔を見ただけで涙が止まらなくなった。
そして、小さな箱に入った赤ちゃんの周りに皆でお花を供え、私たちの家族の写真、手紙、お菓子なども入れた。
病院からも何人かの看護師さん達が折り紙で作った花や鶴などを持って手を合わせにきてくれた。

火葬では、灰ぐらいしか残らないと言われていたが、悪阻でほとんどまともに食事が出来なかったダメな母親だったのに、ちゃんと栄養を吸収してくれてたようで、小さいながらもちゃんと骨が残っていて、骨上げも皆ですることが出来た。

まだ寝る前になると色んな事を思い出して涙する日々が毎日続いているけど、時間が解決してくれることを信じて、前向きに生活している。

上手に文章がかけていないけど、咲空が産まれたことを残して置きたくてここにかきこませてもらいました。






 
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