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   37週 一卵性双生児 ....   
   妊娠12週 稽留流産   

Name: クミ    ..ztv.ne.jp
Date: 2011/03/15(火) 15:43
     削除 
Title: 37週 一卵性双生児の一児 医療ミス    
第2子が双子でした。
自然妊娠だったことや、身内に双子がいないことから、ちょっと特別な感じがして胸が弾みました。

我が家の一卵性双生児ちゃんの膜性は、双子の種類の中でも最も珍しく、また危険性も高いということがわかりました。
2人が無事に育ち、障害もなく生まれてくることは「難しい」とも言われました。
周囲からは「諦めたほうが・・・」という声もありましたが、エコーで仲良く並ぶ愛しい我が子をなくすなんて、とても出来ず、いけるとこまでいって、頑張って産んで育てるんだと、心に決めていました。

長女を産んだ産院では「フォローできない」と言われ、有名な病院では「通うのに遠すぎるよ」と言われ、仕方なく紹介された総合病院へ行きました。
そこでベテランと言われる部長先生は、私の紹介状すら、よく読まずに「こういう難しいタイプの人ばかり次々に送り込まれて迷惑なんだ」と。そして「だめな時はだめだしね。今の時点で双子をこれだけ抱えてるんで(と手書きのリストを見せてきて)あなたも一応書いとくけどとにかく僕はいっぱいいっぱいなんだ」と、言いたい放題でした。
不安いっぱいで臨んだ初検診では、ただただ、おびえるばかりでした。

その後も、危険なパターンならなおさら部長先生にとすがる思いで、その先生に仕方なくついていきました。
33週から管理入院にはいり、37週でウテメリンを中止すると陣痛が来て、夕方からいよいよ出産態勢になりました。
何も問題はありませんでした。
「ここまで、赤ちゃんが2人そろって順調に育った例は珍しく、33年の医師生活で初めてだ」と、医師は、後に言いました。

私の膜性は、初診の時に持っていた紹介状にしっかり記載されてあったのに、医師はそれをちゃんと読んでいませんでした。
そして、自分の目で診断を下し、私を本来と違う膜性だと誤診していたのです。
医師の見解では「自然分娩が出来る妊婦」でした。
でも、実際は、帝王切開でしか赤ちゃんが助からなかったのです。
つまり、自然分娩したら100パーセント赤ちゃんが死ぬということです。
1人目は、呼吸障害を負いながらも無事に出てきてくれました。しかし、へその緒と手だけが先に出てしまった次男は、頭も体も出すことができず、苦しんでいるところをかき出されて、引っかき傷をいっぱいつけられて、出てくる5分前に心拍をなくしました。
2,980gもある、大きな男の子でした。
長男も2,274gに成長しており、双子とは思えない、大きくて立派な赤ちゃんでした。

一緒にお産に立ち会ったもう一人の産科医に私の処置をまかせて、部長であるその医師は、私の夫と両親達に「自分の過ちだ」と、謝りに行ったそうです。
私は、無理な出産で出血が多く、意識がなくなり、あまり当日のことは思い出せません。

でも、意識をなくす前に生まれたばかりの次男の亡骸を主人が分娩室の外から連れてきて、どうしてうまれたばかりの子が外に出れるの?と、思ったのを覚えています。
主人が泣きながら、息子を私に見せてくれている意味が、長い間理解できませんでした。

一卵性は、本当にすべてが一緒で、眠っている顔、指の形、耳の形も全部同じで、今長男が可愛く成長しているのを見ては、同じ顔の可愛い男の子が居たはずなのにと思うと、寂しくてたまりません。

世の中には医療ミスとも認めてもらえず悔しい思いをされてる方がたくさんいらっしゃると思います。私はこちらから訴える前に、病院が認めてきただけラッキーだったのかもしれません。
でも、運命だったとはいえ、医療ミスだなんて一生耐えられません。

病院との話し合いで、何度も「人殺し!」と、叫びました。
うなだれて頭を下げる医師にそれ以上は何も言えず、いつもむなしい気持ちで病院から帰ってきました。

毎年、誕生日である命日に医師の名前で花が送られてきます。
私はその花をいつもぐちゃぐちゃにしていっぱい泣きます。
ずっとずっとそれが続くんだと思います。
もうすぐその命日。私にとって1番辛い日がやってきます。





Name: きはる    ..ocn.ne.jp
Date: 2011/03/08(火) 12:59
     削除 
Title: 妊娠12週 稽留流産    
赤ちゃんの心臓が止まっていることを知ったのは、母子手帳を持って初めていった検診でした。
この日は、血液検査や子宮がん検診等を行い、最後にいつものエコーでした。
エコーを見た先生が「大きくなったね」と言ってくれたので、私も一安心したところでした。

しかしすぐに「困った・・・心拍が確認できないぞ・・・」と先生がいいます。いつも以上の時間をかけてエコー確認してくれましたが、心拍は確認できませんでした。
私は自分のことじゃないみたいで、しばらく呆然としてしまいました。
「また明日、ご主人と来て下さい」と言われ、その日は、泣きながら帰りました。つわりもいつも通りにあったし、出血や痛みもまったくなく、何一つ思い当たることはありませんでした。赤ちゃんの成長から見ると、今日か昨日あたりまでは息をしていたと言われました。

次の日、旦那と先生の話を聞きましたが、私たちはちょうど12週ぴったりだったため、手術するか、出産と同じ方法で取り出すか、どちらにするか選択に迷うと言われました。赤ちゃんの大きさから判断すると、出産方法のほうがリスクが少ないと進められました。私と旦那も、ちゃんと取り上げてもらって赤ちゃんに会いたいと思い、とてもつらかったけど、決心しました。

入院し子宮を広げる処置をしてもらいました。棒を入れるのですが、それがものすごく痛くて、大泣きしました。
その処置は2日に分けて3回しましたが、毎回痛くて、怖くて、切なくて、悲しくて大泣きでした。
そのたびに、私より、赤ちゃんの方が苦しくてつらいよね、と思いさらにまた泣けてきました。実際取り上げてもらった時も痛くて、切なくて泣きました。

すぐに退院できましたが、その時に、きれいにしてもらった赤ちゃんに会いました。10g8cmしかない、小さな小さな私たちの赤ちゃん。
まだ、男の子か女の子かわからなかったけど、しっかり頭も手も足もあり、こんなに小さいのに頑張ってたんだ、生命ってすごいなって感動しました。
そして、ごめんね、守ってあげられなくてごめんね、と伝えました。

二日後に火葬して、お葬式もしました。旦那のご両親がとってもよくしてくれて、四十九日になったらお墓にも入れてもらう予定です。死産届には胎児の名前は必要ないけど、お葬式やお墓のために赤ちゃんに名前を付けました。
今はお葬式までしたことで、気持ちがだいぶ楽になりました。赤ちゃんの顔も見れたし、骨もちょっとだけど残ったし、お空に納得して行けたかなと安心しています。

これからは、赤ちゃんが空から見守ってくれるから心強いです。今振り返ると、妊娠中は仕事が忙しく、バタバタしていました。赤ちゃんが亡くなってしまった原因はわからないと言われたけど、私の生活スタイルが赤ちゃんにとっては負担だったのかなと反省しています。自分は平気でも赤ちゃんは苦しかったのかもしれない。まだまだ、命の儚さ尊さに対しての考えが甘く、妊婦の自覚や覚悟が足りなかったんだと思います。もうこんな悲しい思いはしたくないです。
今度授かることができたら、もっともっと大事に何よりも一番に考えてあげるようにします、私たちができること精一杯します。それが赤ちゃんが教えてくれたこと、残してくれたこと、それを無駄にしないように夫婦で生きていきます。赤ちゃんが私のお腹を選んで生まれてきてくれたこと、4か月まで頑張って生きて私たちに会ってくれたこと、感謝の気持ちで一杯です。



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