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   34週 死産   
   40週2日 死産   

Name: ゆうなん    ..eonet.ne.jp
Date: 2011/09/13(火) 19:03
     削除 
Title: 34週 死産    
妊娠34週、出産まであとちょっとというところで、死産しました。
ふと、胎動を感じていないことに気づき、病院へ連絡しました。
すぐに病院へいって、言われた一言が「心臓が動いていません」。
なにかの間違いだと思い、何度も診察しなおしてもらえるようにお願いしましたが、駄目でした。

すぐに入院して、普通分娩で赤ちゃんを産むことになりました。
気持ちの整理もつかないまま、ただ陣痛がくるのをまちました。
喜びの待っていない陣痛なんて、耐えられる自信がありませんでした。
それでもわが子を一度抱きたいという思いから、必死に耐えました。

産まれたわが子はとてもかわいく、とても死んでいるようには見えませんでした。

今でも涙が止まりません。

健康だけが取り柄の私が、赤ちゃんを元気に産んであげられなかったこと。
あともう少しだったのに。
つらかったつわりもなんとか乗り切って、やっとここまで育ったのに、声を聞く前にさよならなんて。

入院中、無事に赤ちゃんを出産されたお母さんたちが羨ましくて羨ましくて、たまりませんでした。

また赤ちゃんを抱きたい。
おっぱいをあげたい。
おむつをとりかえたい。
愛するわが子の成長を見届けたい。

時間がたてば、この悲しみからぬけだすことができるのでしょうか?
正直、今はだれにも会いたくないし、話もしたくない。
でも旦那様が一生懸命励ましてくれる。
2歳の息子が私を必要としてくれている。

立ち直るしかありません。
いつかまた、お空へ逝ってしまった赤ちゃんが、わたしのおなかを選んできてくれることを信じて、元気をだすしかありません。

赤ちゃんへ
早くママのおなかに帰ってきてね。
パパとお兄ちゃんと楽しみに待ってるよ。
今度はきっと元気に産んであげるからね。





Name: 惇ママ    ..catv296.ne.jp
Date: 2011/09/12(月) 08:26
     削除 
Title: 40週2日 死産    
結婚5年目。原因不明の不妊と診断されていたのに、諦めた頃に自然妊娠。「奇跡の子」と大喜びでした。
男の子とわかり「惇(じゅん)」と決めました。

里帰り出産のために転院したところ、心奇形の肺動脈閉鎖とわかりました。
絶望しました「手術すれば助かる」と言われ、37週から管理入院して出産に備えました。

予定日当日の9月6日、いつもより胎動が弱く感じましたが、夫が来て、お腹に手当てながら「早く出ておいで」と話し掛けてくれました。
夫が帰った後、不安になって心音確認してもらった時には、確かに、元気に動いていました。

翌日の朝、胎動が感じられず、心音を確認してもらったら、反応がありませんでした。
すぐに医師の診察を受けましたが、心臓が停止していました。
あの時の凍り付いた空気は忘れられません。

すぐに夫と母に電話をし、事実を伝えるのは本当に辛かったです。絶句したあと、悲鳴のように「何で?」と聞かれても答えられませんでした。
すぐに医師から今後の処置の説明を受けました。
そのあとはいつも通りに過ごしました。
多分、精神が麻痺していたのでしょう。

9月8日午後2時8分2,262gの惇を自然分娩しました。
促進剤投与からわずか4時間、私を苦しめないよう頑張ってくれました。
解剖を依頼していたので、惇はすぐに運ばれていきました。

1時間後、小さな箱に入って惇が戻ってきました。
夫にそっくりな顔でした。抱っこするとまだ温かく、柔らかかったです。

本当は抱くのに躊躇しました。
心停止してから1日以上お腹の中にいたからでしょう。
肌の色が変色していました。
自分の子なのに「怖い」と感じてしまったのです。
この時は白い布越しに抱くのが精一杯で、直接触れられませんでした。
この罪悪感は一生消えないでしょう。
夕方には夫も対面できました。惇を抱き上げて、撫でてくれました。その姿が目に焼き付いています。

9月11日、父が作った棺に入って、惇は空に還っていきました。
別れの時、頭、頬、手に初めて触れました。
救われた気がしました。

父には、孫への最初で最後の贈り物が棺、という、辛い思いをさせてしまいました。
母は何度も病院に通い、私に寄り添い、励まして、泣いてくれました。
夫は、惇の父親として、勤めを果たしてくれました。そして私を誰より理解し、気遣ってくれます。

今はまだ悲しみしかありません。
解剖の結果が出るまで半年近くかかります。
原因が遺伝性だったら。私のせいだったら。
また授かることができるのか、また失うかもしれないという恐怖、惇への罪悪感。不安に押し潰されそうです。

でも、やっぱりこの手で、我が子を抱きしめたいのです。
今度こそ、笑顔を見たいのです。

寂しいよ、惇。
守ってあげられなくて本当にごめんね。
もしママを許してくれるなら、どうか、帰ってきてください。
パパと一緒に、ずっと、ずっと待ってるからね。
会いたいよ、惇。



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