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   18週3日 嚢胞性ヒグロ ....   
   31週2日 死産   

Name: はぐまま    ..bbtec.net
Date: 2011/03/02(水) 12:56
     削除 
Title: 18週3日 嚢胞性ヒグローマ 人工死産    
2月23日、20cm320g「はぐ」という名前の女の子が産まれました。

10週
頸部浮腫6mmとの指摘を受けて、染色体異常の可能性の話を聞き、紹介状を書いてもらいました。
この時点では、不安はあるけど、きっと元気に産まれてくれるに違いないと、落ち込まないように必死でした。

12週
大学病院で診察を受け、頸部浮腫17mm、嚢胞性ヒグローマの診断を受けました。
先生から専門書のコピーをいただき、染色体異常の確率の高さや予後が不良な事、流産の可能性が高い事などの説明があったのですが、途中で眩暈がして倒れてしまいました。
平日だったので、一人で診察に行ってしまい、後悔しました。
家に帰って、夫に泣きながら報告しました。

14週
祈るような気持ちで、再度、大学病院に行きました。
浮腫は23mmで、前回より大きくなっていました。
先生から羊水検査の提案があり、予約して帰りました。
結果がでるまでの期間に何かできないかと調べてみたら、絨毛検査ができるクリニックを見つけました。
絨毛検査なら、元々少ない羊水を減らさずに染色体の検査できるとのことで、その日の内に電話をしたら、翌日に予約を入れていただけました。
主治医が、時間外にも関わらず、紹介状を書いて下さいました。

ヒグローマに染色体異常が重なると、胎内での致死率が100%近いと聞いていたので、当日まで検査を受けることを戸惑っていましたが、先生から「結果を揃えないと前に進めないよ」と背中を押していただき、ようやく検査を受けることができました。

15週
絨毛検査の結果、ターナー症候群だと分かりました。
泣かないと決めて病院に行きましたが、駄目でした。どうしても涙が止まらなくて、個室に移していただきました。

16週
絨毛検査を受けた病院から紹介していただいた遺伝子カウンセリングを受けに行きました。
ここに来てようやく、何故ヒグローマという症状が出たのか、何となく理解できました。

17週
再度、大学病院へ行きました。浮腫は40mm以上になっていました。「お腹や肺にも水がたまり、心臓の逆流もあり、もういつ心臓が止まってもおかしくない」との診断でした。
「出産を希望するなら大学病院に転院して帝王切開になるが、おそらく出産までもたない。死産に帝王切開はない」とのことでした。

お腹の子は今、生きてる。
生きたいと思っているのか、苦しんでいるのか、今の私にできることは何か、わからなくて、泣きました。

その数日後、主治医のところで人工死産の予約をしました。

この時の私の判断が、正しかったかどうかはわかりません。
今の週数なら、娘の体を傷つけずに出産できるということと、信頼している先生に処置してもらえるということで決めました。

処置は、週末を挟んで3日後から、とのことでした。
決断を迷っていた私と夫に、「全て終わってから大学病院に連絡します」と声をかけてくださいました。

週末は買い物に出かけました。
何をしても、もうこれで最後かと思うと喉が詰まりましたが、最後のお出かけを精一杯楽しみました。

18週1日
逃げたい気持ちを抑えて、病院に行きました。
先生が最後のエコー写真をくれました。
初産のせいか、最初にラミナリア5本を入れた時は冷や汗をかいて動けなくなり、母親が迎えに来てくれました。

18週2日
朝9時前に破水しました。病院に電話すると、すぐに入院できるとのことで、予定を前倒しで入院させていただきました。
朝、ラミナリアの本数を10本に増やし、夜にもまた本数を増やしました。看護婦さんが「痛いけど頑張ってね」と声をかけてくださいました。

18週3日
朝から子宮口を開く薬と促進剤の点滴を受けました。
昼過ぎくらいから、しゃべれないような痛さに変わり、
15時06分にはぐが産まれました。

先生が産まれたばかりのはぐを見せてくれました。
体にいっぱい水がたまってしまっていて、触るとプルプルしていて、傷つけてしまいそうで怖くて抱っこできなかったことを、今でも後悔しています。
本当によく頑張ってくれたね。

翌日、退院になり、はぐと一緒にお家に帰りました。
通常、葬儀屋さんに預けるところ、わがままを言って連れて帰りたいと言ったのに、看護婦さんが棺にお花を飾って下さっていました。へその緒も、もらいました。
火葬までの間、短かったけど一緒に過ごしました。
棺に手作りのカエルとガーゼのお布団、手紙を入れました。

火葬の日は快晴。雲ひとつありませんでした。
本当に妊娠してたのかと思うくらい、つわりもなく、何の迷惑もかけることなくお空に帰っていってしまったはぐ。
ぺたんこのお腹が寂しいです。

はぐと過ごした5ヶ月は本当に幸せでした。
今度はいっぱい迷惑かけに戻って来てね。





Name: meganekko    ..dion.ne.jp
Date: 2011/03/01(火) 11:28
     削除 
Title: 31週2日 死産    
長い間付き合っていた人との子を授かり、結婚。
出産を楽しみにしていた矢先、食欲がなくなり、胎動も感じず、あまり深く考えないで病院に行ったのに、赤ちゃんが亡くなっている事がわかり、そのまま入院しました。

ラミナリアを8本挿入しての出産。
痛みだけがそこにあって、その先には何の喜びも無い、あの感情を忘れる事はありません。
1,817gの男の子でした。
へその緒が、首に肩に何重も絡まって産まれてきました。
 「こんな事があるんですか?」と医師に聞くと、1000人に1人ぐらいの赤ちゃんがへその緒を体に巻きつけてしまい、亡くなってしまうパターンもあると教えられました。

忙しい総合病院にも関わらず、医師、助産師さん、スタッフのみなさんがとても優しい事が救いでした。助産師さんは、主人が来るまで「泣きたい時は泣いたらいいのよ。」と、何時間も隣に付き添ってくれ、涙を流しました。
「ママがそれだけ赤ちゃんの事を想ってくれて、赤ちゃんも絶対喜んでくれてるよ」
感謝してもしたりないくらいお世話になりました。
主人も、入院の間の5日間は仕事を済ませてはすぐに付き添ってくれました。
 
こんな思いをしても、また子供が欲しいと思えたのは、まわりの皆さんのおかげだと思っています。

現在は2人の子供がいますが、2人とも難産で、下の子にいたってはへその緒が長く、陣痛、出産時に自分でへその緒を握ったり踏んだりしてしまっていたようで、何度も心拍が落ちたり、一時的に止まったりしての出産となりました。
何度も「また赤ちゃんを失ってしまうんじゃないか」と、不安に駆られましたが、だからこそ産声をあげて出て来てくれた瞬間の達成感や喜びはたまりませんでした。

当時は、どうして私だけがこんな目に遭うのと思っていましたが、ようやくわかって来た事があります。
あの時の事が無ければ、元気に生まれて来てくれたわが子のことも、主人のことも、今みたいに大事に出来ていなかったかもしれない、そう思っています。
「大事に出来ていない」とは語弊があるかもしれませんが、少なくとも、あまり育児に関心が無かった主人からは考えられないくらいに手伝ってくれて、素直にこちらもありがたいと思えて、家族の絆が深まったと感じています。

また、この後すぐに主人の母が思い病気だとわかり、他界しました。姑が入院している間、主人の父親や家族の家事を私が担っていました。病室で、姑に「もし赤ちゃんが居たら、我が家の家事をしてもらえる状況ではなかったね。ぐちゃぐちゃになっていただろうね、ごめんね。いつもありがとう」と言われました。
主人の母とは亡くなるまで本当に良い関係で接する事が出来ました。
そして、生まれてきてくれた二人の子供を「この二人の孫は俺の生きがいだ」と、残された主人の父親は可愛がってくれています。

このサイトに投稿されている皆さんも今も本当に辛い日々を過ごしておられる方が多いと思います。
まわりの気遣いにかえって傷ついた時もありました。そんな時は無理をせず、距離を取る事も何の間違いではないと思います。
また、その出来事を夫婦間で話せなくなっている方もいると思います。私もしばらくはあまりその事に触れてくれない主人に対して心の中でただただ悶々としていましたが、ある時爆発したようにに主人の前で泣きました。
すると、主人も「お腹の中に居た君の思い入れはとても深い物があったと思う。でも、僕にも僕で父親としての思い入れもあって、考える事もたくさんある」と、冷静に話をしてくれました。
気持ちを溜め込まずに、ご主人や本当に信頼している人の前では、打ち明けて泣いてほしいと思います。

悲しい事に意味の無い事なんか無いと思います。あの子の死産の意味は、私にしか知り得ない答えがある、答えは一つでは無いはず、これからもその答えを探し求めながら私は生きて行くのだと思います。



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