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   39週 13トリソミ ....   
   35週 常位胎盤早期 ....   

Name: デイジー    ..ocn.ne.jp
Date: 2011/02/19(土) 01:05
     削除 
Title: 39週 13トリソミー 死産    
2010年6月、女の子を死産しました。
27週の検診で「心臓の1つの部屋が小さい。頭の大きさが標準より小さい。口唇口蓋裂の疑いがある」と、言われ、大学病院を紹介されました。
その時点では、何がなんだか訳のわからないまま大学病院へ行きました。
30分以上もお腹にエコーをあてられ、難しい顔をしながら画面を見ている先生を見て、とても不安でした。 
そのときに説明されたのは「心臓と、口唇口蓋裂は、生まれてから手術すれば問題ない。しかし、3つも障害があるということは染色体の異常を疑う」ということで、羊水検査を薦められました。
羊水検査をしても障害が治るわけではないが、障害の原因をハッキリさせることで、赤ちゃんが生まれてきたときに適切な対応をとるための準備ができる、ということで検査をしました。

結果は13トリソミー。
5000人に1人、生後1ヶ月の生存率50%、生後1年の生存率10%、死産になることが多い。
お腹の中で動いている娘がそんなことになっているなんて・・・ 一人になると自然と涙が流れていました。
お腹に話しかけながら、無事に生まれてくれることを願っていました。

先生からは、無事に生まれてもすぐに天国へ逝ってしまうかも知れないから赤ちゃんにしてあげたいことを考えとくようにと言われました。名前を決め、手作りのよだれかけを作り、義母は白いドレスを用意してくれました。

39週に入った夜、陣痛がきました。病院へ電話すると「胎動は感じてる?」と聞かれ、よく考えると2日前から感じられていないように思い、一気に不安になりました。
病院に着いてエコーで確認すると、心臓が動いていませんでした。陣痛の痛みと、悲しみで、わけがわからなくなりました。看護士さんも泣いていました。
病院に着いて1時間で生まれました。
先生は「赤ちゃんはすぐ生まれて親孝行だ。お母さんの負担を最小限にしてくれた。」と言ってくれました。それを聞いてかわいい娘をもてたことが、うれしくなりました。

白いドレスを着て、よだれかけをした娘をお棺の中に寝かせ、命名の紙と絵本、看護士さんが折ってくれた折り紙を一緒に入れました。

先生は検診のたびに「次の検診までもつかわからないよ」と言っていました。その時は「なんでそんなことを言うの?不安になるじゃない」と思っていましたが、いざその時がきたら、ある程度覚悟していた自分がいました。
心の準備をさせてくれていたのだと思いました。

天国には実母がいます。
母が娘の面倒をみてくれているだろうと安心しています。





Name: ゆまママ    ..yahoo.co.jp
Date: 2011/02/17(木) 11:16
     削除 
Title: 35週 常位胎盤早期剥離    
2011年2月3日、23時45分。
我が家の長女は、産声をあげずに産まれてきました。
手の綺麗な、私にそっくりなかわいい女の子でした。

子供を望んで半年以上が経ち、旅行にでも行こうと計画した沖縄旅行に行く1週間前に妊娠が判明しました。
旅行はいつでも行けるからと、あきらめて大切に育ててきました。
つわりはひどかったものの、その後は順調過ぎるくらい順調でした。
赤ちゃんは大きく元気に育っていて、予定日を2週間早めようかと、病院の先生から言われていたくらいでした。

2日前の検診で、とても元気で順調ですと言われていました。
ただ、私の体重が14kgも増えて、足に浮腫が出ていたので「たくさん身体を動かしてください」と、言われていました。
その他は血圧も正常で、あとは陣痛が来るのを待つだけだと思っていました。

次の日の夕方、腰が生理前の様に重くなり、お腹が張ってきました。
おかしいと思いつつ、勝手にお産が近づいて来た兆候だろうと思い、横になって過ごしていました。
夜になるとお腹に痛みを感じる様になり、間隔をはかってもはっきりしないので、前駆陣痛が始まったのかと思っていました。
翌朝、とりあえず病院に電話をかけて状況を説明し、赤ちゃんの心拍を確認したら、どこを取っても心拍が確認できず、何がおこったのか分からず、涙が止まりませんでした。

原因は不明。
母と主人に連絡を取りました。
「採血をしても結果が問題ないので、このままお産することになるけど、一度家に帰っても良い」と言われたので、母に迎えに来てもらい、主人が帰ってきたら入院することにしました。
5時間後、主人が車を飛ばして帰ってきてくれました。
その間におしるしの様な少量の出血がありました。

病院に行って、もう一度エコーと内診をして説明を受け、お産の為に入院しました。辛くて悲しい時間でした。
子宮口があまり開いておらず、お腹はずっと痛くて、助産師さんが赤ちゃんとのお別れする本を持ってきてくれましたが、表紙を見るのも嫌でした。
それから何時間たったのか、少しづつ痛みに波が出て間隔的になったころ、先生が部屋に入ってきました。
先生が言うには、入院したときに採血した結果と、今朝採血した時の結果にかなり違いが出ていて、赤ちゃんが亡くなった理由が胎盤剥離だということがわかったということでした。

今、私は出血が酷くてDICという状態になって非常に危険な状態で、DICの治療をしながら帝王切開の手術をしなければならないが、この病院では設備がないので、転院しなければならないと告げられました。
なぜか冷静に話を聞くことができました。
救急車がきてストレッチャーが運ばれてきて、自分でそれに乗り、救急車で近くの救急病院に運ばれました。
今思うと、自分がどれだけ危険な状態なのか、まったく理解できてなかったと思います。
自分で歩けるし、出血も少量で、何が危険なのかわかりませんでした。

救急病院に入ると、母と主人が待っていて、主人はいろいろな同意書にサインをさせられていました。手術の説明を一緒に受け、状況によっては子宮を摘出しなければならないことも告げられました。
オペ室に入り、酸素マスクをつけたところで意識がなくなりました。
次に目がさめたのは病室でした。母と主人が交代で付き添いをしてくれてるのが目に入りました。
目が覚めても、痛み止めの点滴のせいなのか、何もしてないのに眠くなり、寝たり起きたりを繰り返していました。
お腹は平らになり、たくさんの管が出ていました。
もう赤ちゃんはいないのだとわかってはいましたが、何故か涙は出ませんでした。
母と主人が泣いている横で、涙が出ない私はひどく冷たい人間だと思っていました。

手術の次の日、看護師さんが赤ちゃんを連れて来てくれました。
でも、顔を見るのが怖くて、抱いても早く退かしてほしいと思っていました。
赤ちゃんが死んだのは自分のせいだと、赤ちゃんは自分を怨んでいるのではないかと、自分に抱かれても嬉しくないのではないかと、そう思っていました。
だから、顔を見るのが怖くて仕方なかったのです。
でも、その日は赤ちゃんと一緒のベッドで寝ました。
次の日の朝、母が赤ちゃんの顔を見て「今日は笑ってるね。良いことでもあったかな?」と言いました。
それは気のせいかもしれません、でもそれを聞いて、赤ちゃんがわたしに抱っこされて眠ったことが嬉しかったのかと思ったら、急に涙が溢れました。
今まで見たくなかった赤ちゃんの顔がかわいくて、抱きしめたくて、誰にも渡したくなくなりました。
次の日にはぎゅっと抱きしめて眠りました。大好きだよと何度も言いました。
愛しくて愛らしくて離したくありませんでしたが、3日後に家族がみんな来てくれて、かわいい我が子をお空に帰しました。

娘が産まれてから、2週間がたちました。
まだ、辛いときはたくさんあります。自分のことを責めて後悔するときもありますが、娘を思い出した時に後悔しかないなんて、娘が可愛そうだと主人に言われてそう思いました。

私は結局、3リットル以上の出血をし、輸血が必要でしたが、子宮は摘出せずにすみました。
娘は危なかったわたしの命を助けてくれて、子宮も摘出せずにすんだのも娘のおかげだと思っています。
わたしの命は娘がくれた命だと思い、娘の分までたくさん笑って楽しんで生きて行きたいと思います。

天国で待っている雪舞へ
ママは雪舞の分までたくさん生きて、また会った時には面白い話をたくさんしてあげるからね。
少し待たせてしまうけど、ごめんね。
待っててね。大好きだよ。



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