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26週3日 臍帯過捻 ....
17週 死産 リンゴ病
Name:
みっきー
..yournet.ne.jp
Date: 2012/03/19(月) 15:57
削除
Title: 26週3日 臍帯過捻転 死産
25週から切迫早産で入院していましたが、安静と張り止めの内服で症状は和らいできていました。
1日1回の内診、1日2回のNST、1日3回の張り止めの内服。週1回の超音波。
26週0日の朝、NSTで心音をとることができず、診察室で超音波を受けました。
そこには、心臓が動いていないわが子がいました。
先生は何十分もかけてくまなく診てくださいましたが、わが子の心臓の鼓動を見ることができませんでした。
夕方、夫と私の母同席のもと、再度、超音波を受けました。
そして、改めてその事実を伝えられました。
臍帯過捻転が原因であろうと告げられました。
その日の夜から、ラミナリアで子宮口を広げる処置をはじめました。
逆子でしたが、私の体への負担を考え、経膣分娩での出産となりました。
ラミナリアの本数が増えるにしたがい、おなかの張りと腰の痛みがきました。
出産当日の午前。
陣痛促進剤の膣剤を投与され分娩台へあがりました。
4時間ちょっとでかわいいわが子の出産。産声のない出産でした。
誰も「おめでとう」とも「がんばったね」とも声をかけてもらえなかったのが残念です。
私というより、わが子に、です。
逆子といわれていたわが子ですが、直前のエコーで頭をきちんと下にしてくれた、おりこうな子なんです。
小さい体でがんばってくれたことを労ってほしかったです。
生まれたわが子は体重914gのかわいい男の子でした。
初めてわが子と対面したのは、産後4時間くらいたってからでしょうか。
すでに肌着(自分で用意して名前も書いた)を着せてもらい、手も組んでいました。
主人が買ってきてくれたかわいいお花に囲まれ、目さえ開けていれば、どこの赤ちゃんとも変わらないくらい、本当にかわいい子でした。
手も足にも、もちろん全身の異常は見当たらず、健康な子でした。顔は主人そっくりでした。
主人と二人で、息子への手紙、メッセージ、イラスト、たくさん書きました。
天国でも寂しくないように、私たちの写真も入れて。
あなたのパパとママはこういう顔をしてるのよって。
手作りのネームカードも入れました。
名前の由来も書いて。
限られた時間で、できる限りのことをしたつもりです。
したいことは、たくさんあったけど、ひとつだけお願いして、手形と足型をとってもらいました。
お肉もきちんとついていたので、しっかりした形をしていました。
わが子と対面後、胎盤や臍帯をみせてもらいました。
胎盤は正常。
臍帯はねじれがひどく、特にわが子のへその根元がキュッと強く捻じれていました。先生からは「おそらく、これが原因」と言われました。
産後2日目に火葬。
棺に入った息子は、安らかで、主人そっくりな顔をした、しっかりした男の子の顔でした。
ここでやっと初めてわが子につけた名前を呼んで「また会おうね」と伝えました。
カルシウムをがんばってとっていたおかげか、息子の骨は思っていた以上にたくさん残りました。
臍帯さえ何ともなければ、元気に生まれてきていたわが子。
出産予定日は主人の誕生日の前日。
亡くなる前日まで、何ともなく元気だったわが子。
誰が原因でもないけれど、自分を責めてしまう現実。
入院する4日前にやっと性別がわかって、出産準備をしようと考えていた矢先、突然の出来事でした。
約30年生きてきて、こんなに悲しい思いをしたのは初めてでした。
悲しいです。
つらいです。
会いたいです。
たまに後ろを向いたり、自分を責めてしまうこともありますが、わが子に恥じないように前を向いて歩いていこうと思います。
生理が再開したら、この子に弟か妹をつくり、お兄ちゃんにしてあげることを目標に、人生を歩んでいきたいと思います。
Name:
芽生
..jp-t.ne.jp
Date: 2012/03/19(月) 02:20
削除
Title: 17週 死産 リンゴ病
結婚の翌日に妊娠判明。
幸せいっぱいでした。
つわりで体調が悪くても「妊娠は病気じゃないから」と、自分に言い聞かせていました。
今思えば、つわり、夏の暑さ、仕事、慣れない家事etc.
無理をしすぎていたのかもしれません。
17週の検診で赤ちゃんの心拍がないことがわかりました。
それまでは元気に動く姿をエコーで見られていたのに、その日はグッタリとした姿でした。
しばらく呆然とし、その後は「いや!」と、何度も言いながら泣きました。
その日の夕方に入院しました。
バルーンと誘発剤で陣痛をおこして、今まで感じたことのない痛さと、どうしようもない悲しさで泣き叫びながら、小さな我が子を出産しました。
17週での死産でしたが、すでに何週か前に死んでしまっていたようで、身体が溶け始めていました。
真っ白な顏と、苦しかったのかな・・・口が開いていました。
それでも主人と二人で「可愛いね」と微笑み合いました。
死んでしまっているのに我が子を見ていると、なんだか安らいでホッとして不思議な感覚でした。
火葬を終えた頃、赤ちゃんが死んでしまった原因が、私がリンゴ病に感染していたためだったことが判明しました。
リンゴ病?
自分では全く自覚症状はなかったのに、血液検査でわかりました。
無理をして体力が弱っていたからそんな病気に感染したのだと、自分を責め、数えきれない程泣き、後悔の嵐に襲われました。
小さな大切な命を粗末にした自分が許せなくて、赤ちゃんに何度謝っても、悲しくて、辛くて、申し訳ないです。
今でも思い出します。
ゴメンねと、後悔も消えてはいません。
死産した子の存在があるからこそ、今の私。
そして新たな命達があるのだと思います。
消えない後悔と処理しきれない思いは無理に取り除かず、私の中にこれから先も置いておきます。
主人と私の大切な子供だから忘れることはできないですもんね。
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