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   7週0日 完全流産   
   19週 前期破水   

Name: まあママ    ..ocn.ne.jp
Date: 2013/02/23(土) 10:23
     削除 
Title: 7週0日 完全流産    
35歳で長男が生まれ、「赤ちゃんが欲しい」「妹が欲しい」とずっとせがまれきました。
主人は12歳年上なので、躊躇する気持ちもありましたが、いつか息子に妹を・・・と思ってきました。
しかし、なかなか授からず、諦めかけていた時に38歳で妊娠しました。
妊娠検査薬で陽性が出た時は、思わずガッツポーズしました。嬉しくてうれしくて。
それでも、高齢でもあり、万が一のことを考え、息子には安定期に入ってから知らせることにしました。

逸る気持ちから5週0日で受診。胎嚢らしきものが見える程度しかわからず、1週間後に受診するよう言われました。
次の診察では、しっかり胎嚢がみえました。
予定日等は告げられず、2週間後に心拍が確認できるかみるから受診するように言われました。

何となく・・・ただ、何となく。
不安な気持ちがありました。

6週5日で腹痛があり、茶褐色の少量の出血がありました。長男のときにもあったので、そのまま様子をみました。
6週6日、腹痛と出血が増えたため、念のために受診しました。
エコーでみてもらうとしっかり心拍が確認できました。でも、先生から「赤ちゃんの袋があんまり大きくなってないね。流産してしまうかもしれないね」と言われ、現時点では何とも言えないと、おなかの張り止めの薬と止血剤をもらいました。

翌日、ひどい腹痛と生理様の大量の出血がありました。
トイレに行くと、塊が流れ出て行きました。
赤ちゃんが・・・と思いました。
病院へ行きましたが、もう、私のおなかには赤ちゃんはいませんでした。

昨日まで確かに生きていたわたしの赤ちゃん。
子育てに余裕がなく、長男を叱ってばかりになりがちの私に、生まれてくるってこんなに奇跡的なことなんだから、お兄ちゃんにもっと優しくしてって教えに来てくれたんでしょうか?
自然淘汰?そうかもしれません。
でも、できることなら私の腕に抱きたかったです。





Name: 陽ママ    ..ucom.ne.jp
Date: 2013/02/05(火) 23:30
     削除 
Title: 19週 前期破水    
2007年9月、第2子の男の子を亡くしました。
当時、主人の仕事の関係でアメリカに住んでいました。
長女の出産のときは日本におり、何の問題もなく、
仕事もしながらの妊婦生活でしたが、
順調に経過して成長し、普通に分娩していたため、子供が生まれてくることを当たり前に考えていたように思います。

第2子をなかなか妊娠できず、欲しいと思ってから1年半ぐらい授からず、あきらめていたところ、やっと授かりました。
嬉しかった。
授かるまでは必死でいろいろなことを試していたのだけれど、授かってからは無事に生まれてくれることが当たり前だと思っていたため、随分出血していましたけど、普通に生活してました。
長女もまだ3歳と小さくて、自分のためだけの時間はなかったし、アメリカでは切迫流産や早産でも入院することは、あまりありませんでした。

後になって理解したのですが、あの出血はもともと双子だったのが、1人目が流れてしまったことによる出血でした。
6週目ぐらいでした。
今思えば、日本にいればきっと助かっていたのかなと思います。
切迫流産で入院できたでしょう。

19週で前期破水。
胎盤が半分ほど機能してなくて、胎児もどんどん重くなってきて、胎盤が耐えられなくなってしまったのでしょう。
アメリカ人の小児科医がきて「23週になっていない子供は肺が出来ていないので助けることができない」とか、いろんな説明を受けました。
諦めるように説得されたように思います。

結局、母体が感染症にかかってしまい、早く胎児を出さないと母体が危険になってしまうので、促進剤で25cm、460gぐらいの男の子を出産しました。
肺が出来ていないため、外に出た瞬間、息が出来なくて死んでしまいました。
心拍を感じるのに産まないといけない。つらかった。
ずっとずっと、入院中ないてました。

陽を火葬した後、今も遺灰は家にあります。なかなか踏ん切りがつきません。

病院から家に帰ってからは長女がいるため、幼稚園の送り迎えをしなければならず、苦痛でした。
周りには妊婦さんがたくさんいたから。
1年ぐらいは周りのママ達と距離を置き、ずっと一人で引きこもってました。
妊娠できなかったときより流産した後はつらかった。

その後、また妊娠できず、不妊治療をして数年が過ぎてようやく、また妊娠しました。
今回も5週目で大量の出血があり、また駄目なのかと思って過ごしていました。
前回みたいに双子で、1人が流産したのかもしれないと、今回はずっと安静にして、自宅で寝たきりで過ごしました。
医者には早く諦めたほうが良いと言われましたが、どうしても心音の確認が取れないとはっきりするまでは待ちたかった。

10週ぐらいにやっと心音も聞こえましたが、前回のことがあるので用心して、16週ぐらいまで安静に過ごしました。
28週までは慎重に過ごしました。
そのかいがあって無事、次女が誕生しましたが、つらい妊娠生活でした。いつ死んでしまうかと、常に恐怖でした。

今は2人の娘がいることに、毎日感謝して生活しています。
亡くなった陽の分まで2人の娘を大事に育てていきたいと思います。



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