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   26週 臍帯過捻転   
   22週5日 子宮内死 ....   

Name: M.U    ..catv02.itscom.jp
Date: 2012/09/02(日) 22:30
     削除 
Title: 26週 臍帯過捻転    
この6月、初めて授かった子を妊娠7ヶ月で亡くしました。

高齢妊娠でしたが持病もなく、体調も良く、経過はずっと順調でした。
つわりが終わって胎動がわかるようになると毎日楽しくて、おなかに手をあてて元気に動いているのを感じながら眠りにつくのがこの上ない幸せでした。
25週の健診まで、母子ともに何の問題もないと言われていました。

26週3日の夜、急に胎動がなくなりました。
いつものように横になっておなかに両手をあててじっと待ちましたが、何の反応もありません。
毎日元気だったのに、今日の夕食後には確かに動いていたのに。
どうしちゃったの? 
心配で心配で一睡もできず、翌朝すぐに病院に向かいました。

赤ちゃんの心臓はすでに止まっていて、子宮内胎児死亡の診断を受けました。
その日のうちに入院。人工的に子宮口を広げ、翌日陣痛促進剤を服用して分娩することになりました。

どうしてこんなことになっちゃったんだろう。
病院のベッドの上で、涙が止まりませんでした。
夫もずっと一緒にいてくれて、二人で抱き合って泣きました。
昨日の今頃は、もらってきたベビー用品の整理をしていたね。
タンスを買わなきゃと言って、部屋の寸法測ったりネットで検索したりしてた。
楽しかったね。
まさかその夜に亡くなってしまうなんて夢にも思わないよね。

悲しくて辛くてずっと泣いていましたが、それでも出産したときは嬉しかったです。
枕元で対面したときには涙も全然出なくて、純粋に嬉しくて、笑顔で夫に「かわいいね」と言いました。本当にかわいい男の子でした。

原因は臍帯過捻転でした。
臍帯の写真を見せてもらいましたが、一目でおかしいとわかりました。胎児側が太く、胎盤に向かって細くなっていて、その最も細い部分が集中してねじれ、血流が途切れてしまったようです。それ以外に原因は見当たらず、母体にも赤ちゃんにも何の異常もなかったとのこと。

このケースは年齢や体質は関係ないし予防もできない、健診で発見することは難しいし、たとえ発見しても対策がとれない。
お母さんは何も悪くない、赤ちゃんも悪くない、たまたまこういう臍の緒(もともと太さが均一でなかった)を持ってしまったこの子の運命だったのだと、主治医には言われました。
そんな変な臍の緒でも、赤ちゃんは26週の標準の大きさまで育っていました。完全に血管が締まる直前まで、ちゃんと栄養が届いていたのだと思います。胎動が止まったあの時まではきっと本当に元気だったのだと、そう信じたいです。

退院まで親子3人で過ごしました。
病院の方でも気を遣ってくれて、生きている赤ちゃんと同じように対応してくれました。
家から持ってきた産着を着せ、夫と交互に赤ちゃんを抱っこしました。赤ちゃんはただ眠っているようで、かわいくてかわいくて仕方なかった。かけがえのない、幸せな時間でした。

私は実母との関係が悪くて親子関係にいいイメージが持てず、長い間子供を持つことをためらい、母親になるのを怖がっていました。赤ちゃんはそんな私に、子供ってかわいいよ、親子っていいものだよって、教えに来てくれたのかもしれません。

退院して2日後に火葬。
小さな小さな棺に赤ちゃんへの手紙を入れました。
私たちのところへ来てくれてありがとう。短い間だったけど本当に楽しかったよ。また来てね。ずっと待ってるよ。





Name: なぎさ    ..yournet.ne.jp
Date: 2012/08/29(水) 16:07
     削除 
Title: 22週5日 子宮内死亡 死産    
結婚して2年、私たち夫婦に待望の赤ちゃんを授かりました。
初期に出血が続き、切迫流産と言われて2週間入院しましたが、その後出血も止まり、以後の検診でも何の問題もなく順調に育っていました。

やっとお腹の中でポコポコという胎動を感じ始めた矢先の事でした。
いつものように妊婦検診を受けた5日後、その日は突然やってきました。

朝7時、おなかを下した時のような小さな腹痛で目を覚ましました。
普段からよくお腹の調子が悪くなるので、その日もそうだろうと普段どおりに生活していました。

3時間くらいたってから、お腹の痛みがひどくなってきました。
今思えばこれが陣痛の始まりでした。
でも、はじめての妊娠で、しかも6ヶ月に入ったばかり。
まさか陣痛だとは思いもせず、昼くらいまで家で痛みに堪えていました。

その後、あまりにも痛みが引かないので病院に電話をすると「すぐに受診しに来てください」といわれ、
行ってみると、子供を包んでいる袋が出かかっていると言われて、大きな総合病院にまわされました。

それから1時間もしないうちに破水してしまい、最悪な道をたどり始めました。
逆子になっていて、体半分はでてくるけどその先が出てこない状態でした。

どんどん我が子の心拍の音が弱くなっていき、先生から「22週で生きて生まれる子の8割は障害を持つ」という説明を、どこか上の空で聞いていました。
障害を持って、この子自身も苦労させてしまうんだろうかと、ぼんやり考えていたような気がします。

夕方6時過ぎ、とうとう音が聞こえづらくなり、エコー画面で心臓を確認しました。
それを見ていると、小さく"トクン、トクン"と動いていた心臓がゆっくりと止まっていきました。

あの瞬間は、たぶん死ぬまで忘れることはないと思います。

その後、先生に自然に陣痛を促して出してあげましょうね、と言われ、またゆっくりと陣痛が来るのを待っていました。
本当にママ思いの子で、8時半ごろには、ちゃんとママのお腹の中から出てきてくれました。

きれいにしてもらった我が子を胸に抱いたとき、もう涙がとまらなかったです。

まだこの体験をしてから1週間しかたっていません。

正直本当に我が子に申し訳なく、これを書いている今も涙がとまりません。
でも、泣いてばかりいたら主人にも、家族にも心配させてしまうと少しでも前向きに考えるようにしています。

このサイトを初めて知って、本当にたくさんの方たちが同じ思いを胸に抱いていることを知りました。

これから先、空へと忘れ物をとりに帰ってしまった我が子がまたママのお腹に戻ってくると信じています。

また逢いましょう、我が子へ心から愛をこめて。



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