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   13トリソミー誕生死   
   19週 子宮内胎児死亡 ....   

Name: さゆ    ..mesh.ad.jp
Date: 2010/07/07(水) 14:53
     削除 
Title: 13トリソミー誕生死    
2009年、不妊を乗り越えてやっと授かった、待望の妊娠でした。
上にも子供がいて、もうすぐ4人家族だねと、大喜びしていました。
今回は待望の女の子であり、天にも昇る幸せな思いでいましたが、それが一転、7ヶ月後半の検診で心臓と腎臓の異常を指摘され、大学病院へ紹介されました。

羊水検査や心臓エコーの結果、13トリソミーである事、心臓に重い奇形があり、心臓の部屋が1つしかなく、心臓から肺にいく血管が閉鎖している事がわかりました。
希望はどこにもなくて「薬を使っても生後1週間の山は越えられない」と言われました。
私は仕事をもっており、上の子もいたので、夜みんなが寝てから一人で泣いていました。
同じ時期、全身に妊娠性の蕁麻疹が広がり、強い痒みに耐えるために真冬にアイスノンを抱え、強い薬を使っても朝方まで眠れず、気がおかしくなりそうでした。
胎動さえもどう感じていいのかわからず、辛かった。

生まれる前に死の告知を受けるなんて、この子は死ぬ為に生まれるのだろうか、どうしてこうなったのか、恨みをいう場所はおろか、答えもなく、最後は来るであろうとしても、どうなるのかまったく予測がつきませんでした。
ただ事実は、今、私のおなかの中で一緒に生きている。重い病気と運命を抱えても、私の子供として宿ってくれたのだから今を大切に過ごさないといけないと思いました。
「ありがとう」って、「おめでとう」って伝えたかった。

病院の方と話し合い、帝王切開で産む事、苦しまない程度の薬は使うが、延命はしない事を決めました。
決める前も決めた後も、本当にそれでいいのかたくさん悩みました。
でも、先生が「赤ちゃんにとって、両親が決めた選択が1番いい事」だと教えて頂き、一緒に考えながら選択をする事ができました。

しかし、入院予定より1週間早く、破水して陣痛が来ました。
緊急の帝王切開で1765gのかわいい女の子を出産し、小さい産声も聞けました。
すぐNICUに運ばれて、保育器の中で5日間、精一杯生きてくれました。
当たり前の命なんて1つもない事を、かけがえのない命の大切さを小さな命が教えてくれました。

最後は初めて抱っこして2時間、主人と交代に抱っこして、たくさん声をかけてあげる事ができました。
今回、高度医療の発展に伴う出生前告知、看取りを経験し、本当に多くの方に支えてもらった事と、大切な事を教えてくれたわが子に、感謝の気持ちでいっぱいです。

産後2ヶ月、仕事にも復帰し、うそみたいに慌しい毎日が過ぎて行きますが、時々一人になると、悲しくて泣いてしまいます。
でも、またがんばって赤ちゃんの分も生きていきたいです。





Name: Roko    ..jp-k.ne.jp
Date: 2010/07/05(月) 18:52
     削除 
Title: 19週 子宮内胎児死亡    
結婚して4年。
子供をもつ事に積極的でなかった主人が、やっと決断しました。
その後すぐ、妊娠が判明しました。
私も、あまり子供に執着はないものの、一生に一度は出産を経験してみたいと、傲慢な考え方があり、私の亡くなった赤ちゃんは、そんな母親の気持ちを察して何かを教えに来てくれたのかもしれません。

けれど、妊娠してから私の中の何かが変わって来ました。
日に日に成長する我が子が、小さいながらも一生懸命動く姿をエコーで確認する度、いいようのない不思議な感情が芽生えて来ました。
そして当然生まれるだろうと思っていた赤ちゃんが、妊娠5ヶ月の5月21日に死亡していた事を聞かされた時には、何かの間違いではないかと思いました。

軽い出血に驚いて病院に行くと、医師から思いもよらない言葉が出てきたのでした。
「心音が聞こえないでしょう?」

クリニックから、すぐに分娩先の病院へ転院になりました。
診断は、先ほどと同じ残酷なものでした。
赤ちゃんは、死亡してから2〜3週間が経っていました。
主人を呼び出して、一緒に話を聞きました。入院、手術、治療内容・・・その間泣き通しで、医師が何を言ったか殆ど覚えていません。

GWに安産祈願に行きました。
けれど,その頃にはもう生きていなかったのかもしれません。

入院した日と翌日にかけてラミナリアを入れて子宮口を拡げ、3日目の朝8時前に陣痛剤を服用しました。
次のお薬の時間、11時頃まで病室で待機することになっていました。

8時過ぎに朝食を済ませるとすぐ、水っぽい何かがドバッと出た感じがあったのでトイレに行き、その足でナースステーションに症状を訴えにいきました。
病室に戻ると出血し始めて、ナプキンを換えたくなる衝動に駆られてきて、看護士さんにいうと、病室にポータブルトイレと数名の看護士さんが来ました。
ほどなく間隔の開く腹痛が来て、ポータブルトイレで出産しました。
この間、僅か1時間程でした。
早く出たかったんだよね。

赤ちゃんを付けたまま処置室に運ばれました。
何もかもが初めての事で これが破水なのか、これが陣痛だったのか、こんなに出血するのか、という感じで、あまりにも無知でした。

対面した我が子に会ったら泣くと思っていたけど、14cm60gの、まだ性別も解らない小さいその子は、とても可愛くて感動しました。口をパカッと開けていました。

入院中の精神状態は不安定で、笑ったり大泣きしたり、亡くなった赤ちゃんは、自分にもこんな感情がある事を教えてくれ、心底子供が欲しいと思わせてくれる為に、また退院後の検査時に判明した卵巣の異常を知らせてくれる、それだけの為に生を受けたのでしょうか。
そんな形で教えてくれなくてもよかったのに。

優しかった医師、看護士さん、一人の人間として火葬して下さった役所の方、励ましてくれた友達、皆の親切は忘れません。



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