このページは流産・死産経験者で作るポコズママの会が運営するページです。HPでは流産・死産経験者同士の交流ページや心のケアに関する情報が掲載されていますので、是非ご覧ください。
HP(http://pocosmama.jp

こちらのページは、みなさんの流産・死産体験記を「投稿」・「閲覧」できるページです。

<体験談の投稿について>
■ご自分の体験を掲載したい時は「新規投稿」からお入り下さい。
■「タイトル」は流産・死産の週数や原因などを分かる範囲でご記入下さい。
■書き込める文字数は3000字までです。ご注意下さい。
■投稿いただいた内容は、ポコズママの会で内容を拝見した後、公開しております。掲載まで1〜3週間程度かかることもございます。
■多くの天使ママさんが読まれる体験記ですので、病院名などを記載された体験談や天使ママを不安や不快にさせる内容につきましては、該当部分を削除、または掲載をお断りする場合がございます。
■投稿いただいた体験談の著作権は投稿ご本人様にございますが、当会の活動や取材、研究などに使用させていただく場合がございますのでご了承ください。

<体験談の閲覧>
■体験談の表示には「一覧表示」「ツリー表示」「トピック表示」がございます。使いやすい表示でご利用下さい。
■個々の体験談へは返信ができません。
■表示された体験以外のものを読みたい場合は、ページの最下部に「NEXT」をご利用下さい。現在300以上の体験談が投稿されています。
■妊娠週数や原因などキーワードで読みたい体験談を検索することもできます。ご希望の方は「検索/過去ログ」をクリック下さい。
■投稿者がメールアドレスを公開している場合を除き、当会から投稿者の連絡先を教えることはできません。
  <<   新規投稿   トピック表示   ツリー表示   携帯用   検索/過去ログ   ホーム  
 
   20週 22週 2度 ....   
   22週4日 双生児の ....   

Name: けんゆりママ    ..eonet.ne.jp
Date: 2010/05/19(水) 16:05
     削除 
Title: 20週 22週 2度の死産    
待望の2人目の妊娠でした。息子は、お兄ちゃんになれることを、喜んでいました。
長男の時とは違って、吐きつわりがひどくて入院しました。

順調に赤ちゃんも成長していて、つわりが落ち着いたころ、性別を聞くと、女の子だとわかり、とても幸せで嬉しかったことを覚えています。
19週目に入ったとき、出血したので受診したところ「子宮頚管にゆがみがみられる」と、のことでしたが、何を言っているのかわかりませんでした。
しかし、すぐ入院することになり、ベットから起きることも、動くことすら許されない状況になりました。助産師さんからは「諦めないで」と、毎日励まされ、頑張りましたが、出血は止まらないまま陣痛が始まり、長女を出産しました。

おなかの中では生きていたのに、産んでしまってごめんなさいと、何度も謝りました。
動かない我が子は、びっくりするほど長男に似ていました。主人も長男も、悲しくていっぱい泣きました。

それから2年が過ぎて、悲しみも少し和らいだころ、妊娠しました。長女の時に子宮頚管無力症とわかったので、安定期に入ってからマクドナルド手術を受けて、これで安心だと言われていたのに、今度は感染症にかかって22週目に死産しました。
男の子でした。
また動かない我が子を見るなんて。二人の我が子のことは、これからも愛し、思って生きていきます。

2度目の死産から3年、1番辛いのは「2人目は産まないの?」と聞かれることです。「兄弟は必要よ」と言われることです。
私が一番わかっていることだから、一番言われたくない言葉です。





Name: サラユズかーちぁん    ..eonet.ne.jp
Date: 2010/05/18(火) 11:31
     削除 
Title: 22週4日 双生児の死産    
2007年、双子の女の子を22週4日で見送りました。
子宮頸部軽度異型上皮での手術を経験し、不妊治療を経ての待望の妊娠でした。

順調に迎えた妊娠5ヶ月目の事でした。私は5キロもの米袋を運んだことで、少しお腹に痛みを感じ、その日はすぐに寝ました。
次の日、お腹の痛みは治まったので、かねてから主治医に許可を取っていた、車で一時間半の場所に主人と安産祈願に出かけることにしました。
歩いている時、再び、少し痛みを感じていました。

あくる朝、トイレで少量の水っぽいおりものが出ているのに気付きましたが、大丈夫だろうと思っていました。買い物に行こうとして、たまたま病院の前を通るとすいていたので、一応診てもらっておこうとたちよりました。
先生も「大丈夫やろう」と言いながら、一応検査することになりました。
検査の結果、それは破水だったことがわかりました。
私は車椅子で病室に運ばれ、そのまま入院になりました。病室から出られない入院生活が1ヶ月を過ぎたある日の夜、私は、なんだかすごく胃が痛いなと思いながら寝ました。

次の日の朝になっても食欲がなく、便意を感じてトイレに座って息んだ時、何かが出ました。
胎胞がぶら下がっていました。
私はパニックになりながらナースコールを押して、そのまま手術室に運ばれました。先生がすぐに駆けつけてきて、「今、生まれても目も見えません。どうしますか?」と聞かれました。
私は「一人では決められません。主人と決めさせて下さい」と言いました。
主人は先生からの説明を受け、「わかりました」と、返事していました。
「今日か、明日には、お産になる」と言われましたが、間もなく2人の娘は静かに生まれてきました。小さいながらも個性を持った、主人似の双子でした。その後は絶望としか言えません。

廊下からは、「おめでとう」とか、幸せな声が聞こえてきます。泣くしかありませんでした。2日後、私と双子の娘は主人に付き添われ、裏口から病院を退院しました。お寺でお経をもらい、火葬して家に帰りました。

あれからもうすぐ3年たち、子どももいますが、でもやはり、今ここにいてくれたら・・・と、思います。
「生まれてきた」という証が欲しく、また、同じ思いをされた方の役に少しでも立てればと投稿させていただきました。



過去ログへの書き込み・返信は出来ません。




 
NEXT >>  [ 1 , 2 , 3 , 4 , 5 , 6 , 7 , 8 , 9 , 10 , 11 , 12 , 13 , 14 , 15 , 16 , 17 , 18 , 19 , 20 , 21 , 22 , 23 , 24 , 25 , 26 , 27 , 28 , 29 , 30 , 31 , 32 , 33 , 34 , 35 , 36 , 37 , 38 , 39 , 40 , 41 , 42 , 43 , 44 , 45 , 46 , 47 , 48 , 49 , 50 , 51 , 52 , 53 , 54 , 55 , 56 , 57 , 58 , 59 , 60 , 61 , 62 , 63 , 64 , 65 , 66 , 67 , 68 , 69 , 70 , 71 , 72 , 73 , 74 , 75 , ... ]
 
 
削除・編集   管理者画面   RSS   + Powered By 21style +